近頃は個人商店レベルと云えどもでもある程度の業務のOA化・IT化ってのはもはや当たり前の事なのかも。
要るとか要らないとかって話じゃなくて、されてて然るべき=それが普通ってこと。
こうなってくるとそんなもん無くたって大丈夫なんて云ってるのはただの甘えっていうかさ、無い事による不都合の大きさを理解出来ないただの馬鹿にしか見えなくなってくる。
とはいうものの、本業を全うしててこそのことなんだけどね。
ところで、1月17日といえば、あの阪神淡路大震災から20年、もうそんなになるんだね。
ここんとこニュースなんかでもさかんにそれ関係の報道がされてるし。
そこでちょっと考えてみた、あの震災からどんな教訓を得たんだろう?って。
オレの場合はね、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」かな。
だいたいね、人ってのは基本的に嫌なことは忘れるよーに出来てるわけ。
過去にあった嫌なことをいちいちキッチリ憶えてたらそれこそ嫌んなっちゃう、つーか生きてらんないって。
だから忘れて当然、思い出せないのは健康な証拠。
自身ないしは身近に不幸でも被らない限り憶えてなくたって何の罪も無い。
それを「忘れるな」なんて云われたって無理無理、出来っこない出来っこない。
だいいち現在の神戸では「忘れるな」どころか「知らない」人が40%もいるっていうじゃん、「知らない」ことを「忘れるな」なんて「はぁ?」でしょ。
要するにね、みーんな忘れちゃうわけ、いーのいーのそれで。
問題はさ、その忘れちゃうってのを前提にしてその起きてしまったことにどう対処するのか?ってこと。
もしも改善だったり戒めとする必要がある部分があるんだったら、それを修正するとか対応出来るシステムをしっかりと作る、肝要なのはそーゆーとこなんじゃないの?
「忘れない」なんて絵に描いた餅は見栄えはいいけど実際ピンとこない、ましてや何十年も経っちまえば冴えないこと甚だしいしそんなじゃあモチベーションは全然上がらない。
「忘れない」で安心してないで、「忘れる」からこそ「知らない」人たちもちゃんと向き合えるようにしっかりとした指針を真実を知っている人達(自分を含め)が「忘れない」うちに示さなきゃいけない、と思うな。
つまり〜、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」のは悪い事じゃなくてある意味人間の防衛本能、なのにみんなあまり良しとしたがらない、だからこそ教訓になるわけ。
それにさ、反対にそれを認めない事の方が欺瞞だし慢心だし、余っ程罪じゃね?
※飽くまで個人的な意見ですので不快に思われた方がいたらごめんなさい。

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